みなさんと語り合いたいあれこれ、今日は非暴力を貫いてインドの独立に貢献したガンディーの命日が1月30日だったことを受けて、暴力について考えてみたいと思います。
Non-Violence Projectという私たちの名前を聞いて、Violenceなんて身近に存在しないから関係ないわ、と言われることがあります。
プログラムについても同様で、暴力問題なんて抱えていないから、プログラムにもあまり興味が持てないの、と言われたりすることもあります。
でも皆さん、暴力というものについて真剣に考えたことがあるでしょうか?
私たちのプログラムの中に、Violenceつまり暴力について考えてみる、というセッションがあります。
このセッションは暴力を経験したことがあるか、経験したことのある暴力ってどんなものか、自分は暴力というものに対してどんな意見を持っているか、を考え、意見を交換し合うことで、自分の考えを再構築していく、という内容です。
このセッションに入る前と、セッションを終えた後では、ほとんどの人が暴力に対する見方、考え方が変わった、と言います。
ん? どんなふうに???
私たちが今までのセッションで目にした大きな変化は主に2点ありました。
一つ目は、始める前はほとんどの人が暴力=物理的暴力ととらえていたが、精神的な暴力や目に見えない暴力が存在することに気づいたこと。
そして2つ目は、暴力がすべて悪い、と言い切ることはとても難しい、ということ。
暴力とは何か、という説明は世界中のどの辞書にもきっと載っていて、きっとさまざまな言葉で表現されていることだと思います。時代によっても当然ながらその表現は変化し続けていると思います。
子どもと若者たちに私たちが説明するときは、物理的もしくは精神的に相手を傷つけ、痛みを与える行い、というふうに表現しています。
ノルウェーの社会学者、ヨハン・ガルトゥングは暴力を“直接的”“構造的”“文化的”暴力の3タイプに分類しています。
そして現象としての暴力は氷山の構造に似ていて、常に目に見える小さな部分と、隠れた巨大な部分があることを明らかにしました。
彼が言う、常に目に見える小さな部分というのが“直接的暴力”で、物理的に暴力を加えたり、言葉によって他者を傷つけたりする行為を指します。
また“構造的暴力”をガルトゥングは社会構造の中に組み込まれている不平等な力関係、経済的搾取、貧困、格差、政治的抑圧、差別、植民地主義などを指すと主張しました。
“直接的暴力”と“構造的暴力”という概念をガルトゥングは1969年に編み出しているのですが、1990年代に入ってから“文化的暴力”という概念を提起します。
これはそれぞれ固有の文化圏内で正当化されている暴力がある、というもので、例えば神や祖国の名のもとに人を殺害する行為や選民意識、ナショナリズムといった宗教やイデオロギーが生み出している諸問題などが挙げられています。
私たちのプログラムの中のアクティビティで出している質問は例えばこんな感じ。
〇暴力は常に間違っていると思いますか?
〇自分を守るために暴力を使うのは許されると思いますか?
〇誰かを守るために暴力を使うことは許されると思いますか?
〇暴力を使わずに意見や考え方の違い(コンフリクト)を解決することは可能だと思いますか?
……
それぞれの質問について、自分の考えを改めて見つめていくと、最初に考えていたりイメージしていた暴力の姿が少しずれたり、ぶれたりし始めます。
そしてこの質問。
〇もし大切な人がひどく扱われるのを見たとき、暴力を使わず何もしないほうがいいと思いますか?
ここで多くの人が回答に詰まったり、迷ったり、あれっと思ったり。
非暴力を掲げる平和主義者にぶつける批判的な質問として有名で典型的なものがあります。
それは「愛する人が襲われたなら?」、つまり家族や恋人が目の前で暴漢によって襲われようとしている場合も果たして非暴力の信念を貫くことができますか?というもの。
私たちのプログラムで出て来る質問もこの問いと同じようなことをきいていることになるかもしれません。
以前にもご紹介しましたが、私たちのプログラムに唯一の正解はありません。
答えは、考える本人が導き出すもの。そしてその答えには正解も不正解もないのです。
ある人は、正当防衛は暴力に値しないから大切な人を助けるために暴力をふるう、と答えるかもしれません。
先月、JR東日本宇都宮線の車内で煙草を吸っていた男性に注意をした男子高校生が、男性に暴力を振るわれ大けがを負った際、同乗していた乗客は誰も止めに入らなかった、という痛ましい事件がありましたが、力の弱い人間であれば相手に歯が立たないと思い、何とかしたいけれどじっと我慢するしかない、と言うかもしれません。
また、そんな悲惨な場に居合わせるなんてこと自体が起こってはならないことだから、世の中から暴力を無くせばいい、と考える人もいるかもしれません。
私たちのセッションではいろいろな立場や価値観、世界観から様々な意見が飛び交い、それに刺激を受けながら、自分は暴力というものをどのようにとらえ、どのように向き合っていきたいだろう、と改めて考え、見つめなおしてもらうことを目的としています。
このセッションを終えた後には、新たに暴力と向き合おうとしている自分を見つけてもらえると思います。
今年も2月に入りました。北京オリンピックがまもなく開幕します。平和の祭典であるオリンピックの場で、世界中にくすぶる暴力の火種をつぶしましょう、と誰かが声を高らかに訴えてくれないだろうか、と淡い希望を抱く今日この頃です。
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